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今月のみ言葉

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「どんな時もイエス様と一緒」 

 ルカによる福音書17章1一19節

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 ルカによる福音書17章1一19節にイエスが十人の重い皮膚病の人たちを癒(いや)すという出来事が記されています。

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 イエスはガリラヤでの宣教活動に区切りをつけて、エルサレムへと向かって行かれます、その途上、サマリア地方とガリラヤ地方とが隣接する地域にある村に入られました。
 そこで、「重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 声を張り上げて、『イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください』と言う。」、ということが起こります。

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 当時、重い皮膚病を患った人は病気が癒(い)えるまで、村の外に出なければなりませんでした。そのために重い皮膚病を患っていた十人は、村から離れて生活をし、彼らだけのコロニーを作っていたのかもしれません。

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 また、皮膚病を患っていた人々は、他の人に触れてはならないと言われているので、イエスから離れて遠くから叫んで、癒(いや)しを求めたのでしょう。

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 するとイエスはこう答えられました。「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と。
 このイエスの言葉を聞いて、この言葉に従って歩みを起こし、祭司のもとに出向こうとした人々は、その途中で病が癒(いや)されたことを感じたというのです。

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 これで、彼らは病の苦しみや社会的な疎外、孤立から解放されることになるのです。それは彼らにとっては大きな喜びであったでしょう。

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 ところが、その十人の中で一人だけがイエスのもとに帰ってきて「イエスの足元にひれ伏して感謝」したのです。

 すると、イエスは、イエスのもとに戻ってきた人に、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言われるのです。

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 イエスのもとに戻って来た人はイエスの癒(いや)しに与って感謝をもって、それに応えようとしました。つまり、イエスとの交わりの中に入っていったのです。
 このイエスとの交わり、相互の関わりの中にこそイエスの言われる「救い」という言葉の意味するところがあるのではないでしょうか。

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 イエスとの交わりに生きる者とされていく。それがイエスの言われる救いの一つなのではないでしょうか。わたしが問いかけ、わたしに語りかける方がいる。この相互性の中に「救い」の意味があるのではないでしょうか。

 

 そして、こうした交わりはわたしたちにともないということを教えます。わたしは孤立して生きる者ではなく、イエスにともなわれていることを教えるのです。

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 どのような時にも、わたしは独りではなく「イエスと一緒」ということ、これほど力強いことはないのではないでしょうか。
 イエスに癒(いや)されただけではなく、感謝の応答をする人の姿は、こうしたイエスとの交わりという恵を受ける幸いを語っています。

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