日本キリスト教団
浦安教会
今月のみ言葉
「貧しいやもめのささげもの」
マルコによる福音書12章41−44節
マルコによる福音書12章41−44節に貧しいやもめがレプトン銅貨2枚を献げるという出来事が記されています。
ここに出てくるレプトンというのは、当時用いられていた通貨の単位です。そして1レプトンは1デナリオンの128分の1の価値であったといわれています。また1デナリオンは、労働者が一日働いて得ることのできる位の価値を持っていたと言われていますから、一レプトンはおよそ80円くらいでしょうか。
貧しいやもめは、このレプトン銅貨2枚をエルサレム神殿に設けられていた賽銭箱(さいせんばこ)に入れたのです。
それをイエスは見ておられました。そして弟子たちに言われるのです。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」と。
エルサレム神殿に設けられていた賽銭箱には多くの人が献金を入れていたのでしょう。ある人は一万円、ある人は10万円と献金箱に入れてゆく、ところがイエスは、そうした沢山よりも貧しいやもめの小さなささげものの方が大きいのだと言われるのです。
多分この言葉を聞かされた弟子たちは驚いたでしょう。彼らにしてみれば、一万円は百円よりも大きいわけです。わたしたちの人間世界でもそうです。大は小をかねるという言葉がありますが、1万円は100円より大きいし、大は小よりよいし、強いことは弱いことよりよいと思われているのではないでしょうか。
しかしイエスは、賽銭箱に入れたお金の多寡ではなく、その人にとってささげたものがどのような価値を持っているかを見ておられたのではないでしょうか。
彼女は、一見して貧しい女性であることがわかったのです。その彼女が銅貨を2枚持っている。2枚あるのですから一枚をとっておいてもよいわけです。しかし、彼女は2枚とも賽銭箱の中に入れるのです。イエスはそこを見ていた。そして一筋に神を見つめ、信頼して生きようとするやもめの信仰を賞賛されるのです。
またイエスは、神の視点がどこに置かれているのかということも教えようとしているのではないかと思わされます。
神は自らの手に銅貨2枚しか持っていなかった貧しく小さな女性が、全てをささげるその小さな手を見ておられるというのです。
そして彼女と共にいてくださり、彼女が生きることを助けてくださる。さらに彼女の生命の輝きが消えぬようにしてくださるというのです。
神は神に頼ることしかできないと気づいた小さくされた人の中にその働きを垣間(かいま)見せてくださるということなのではないでしょうか。わたしの小ささ、弱さに気づく。そしてそこに働かれる神を信頼する。それが大切なのではないでしょうか。
華々しく、力強いところにだけでなく、小さく弱いところに垣間(かいま)見える神の働きに気づく。そこに、生きよと言い、あなたと共にいると教えてくださる神の姿を見る。その幸いを受け取りたいと思います。