日本キリスト教団
浦安教会
2025年 9月14日(日)10時 30分
聖霊降臨節 第15主日
標語 イザヤ書30章20-2節
「あなたの目は常に、あなたを導かれる方を見る」
礼拝の順序
前 奏 黙祷
招 詞 イザヤ書 43・1
讃美歌 13(みつかいとともに)
交 読 詩編 104・24-35
主の祈り (93-5)
聖 書 列王記上 3・4-15
祈 り
讃美歌 141(主よ、わが助けよ)
説 教 「ソロモンの知恵」 笠田 弘樹 牧師
祈 り
讃美歌 506(すべては主のため)
使徒信条 (93-4)
頌 栄 25(父・子・聖霊に)
祝 祷
後 奏 黙祷
( 讃美歌は『讃美歌 21』)
説 教 「ソロモンの知恵」
聖 書 列王記上 3・4-15
本日は、列王記上3章4−15節に記されたみ言葉に聞いてゆきたいと思います。
さてこの聖書箇所には、イスラエルの王であったソロモンという人の物語が記されています。このソロモンは、聖書の中では稀にみる知恵者であったということになっています。
列王記上5章9−14節というところを見てみますとこのようなことが記されています。
「神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった。 ソロモンの知恵は東方のどの人の知恵にも、エジプトのいかなる知恵にもまさった。
彼はエズラ人エタン、マホルの子らであるヘマン、カルコル、ダルダをしのぐ、最も知恵ある者であり、その名は周りのすべての国々に知れ渡った。
彼の語った格言は三千、歌は千五首に達した。彼が樹木について論じれば、レバノン杉から石垣に生えるヒソプにまで及んだ。彼はまた、獣類、鳥類、爬虫類、魚類についても論じた。
あらゆる国の民が、ソロモンの知恵をうわさに聞いた全世界の王侯のもとから送られて来て、その知恵に耳を傾けた。」
そして、本日の聖書箇所では、ソロモンが稀にみる知恵を持つ者とされたきっかけとなる出来事が語られています。
ソロモンは父ダビデの後継者として、イスラエルの王位につきました。そして王位についてから三年くらいして、ギブオンという街にあった聖所に赴き、多くの犠牲の動物を捧げながら礼拝します。すると、その晩、夢の中で神からの語りかけを聞いたというのです。
神はソロモンに語りかけます。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と。
これに対してソロモンは答えます。「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕(しもべ)をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。
僕(しもべ)はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。
どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
こうして、ソロモンは神に富や戦勝や長寿を求めるのではなく、知恵を求めました。ソロモンは実際的な統治能力を神に求めたのです。自らの才覚に依存するのではなく、また自らの経験値によって統治をするというのではない。神を求めたのです。
この物語は、このソロモンの選択を大切なこととして教えているのではないでしょうか。
つまりソロモンは、神からどんなことでも願えと言われ、目の前に選択肢を広げられ、それに対して適切な選択をしたということです。
こうした選択、それはわたしたちにも課せられているものではないでしょうか。わたしたちはその行動や人間関係の中で、絶えず選択をして生きています。その時どこに軸を置いて選択するのかが問われるということがあるのではないでしょうか。
そこで、聖書は神との交わりを軸として選択をすることが大切であるということを教えているのです。ソロモンのように神を求めるという選択が大切だというのです。
2025年 9月7日(日)10時 30分
聖霊降臨節 第14主日
標語 イザヤ書30章20-2節
「あなたの目は常に、あなたを導かれる方を見る」
礼拝の順序
前 奏 黙祷
招 詞 詩編 46
讃美歌 12(とうときわが神よ)
交 読 詩編 90・1-12
主の祈り (93-5)
聖 書 マタイによる福音書 13・31-33
祈 り
讃美歌 56(主よ、いのちのパンをさき)
説 教 「隠れた種」 笠田 弘樹 牧師
祈 り
讃美歌 397(主の教えのべ伝え)
使徒信条 (93-4)
聖餐式 81(主の食卓を囲み)
頌 栄 25(父・子・聖霊に)
祝 祷
後 奏 黙祷
( 讃美歌は『讃美歌 21』)
説 教 「隠れた種」
聖 書 マタイによる福音書 13・31-33
本日は、マタイによる福音書13章31−33節のみ言葉に聞いてゆきたいと思います。
さて聖書箇所には、イエスが語られた二つの譬え話が記されています。一つは、からし種のたとえと呼ばれる譬え話です。そしてもう一つはパン種のたとえという譬え話です。
まずからし種を題材としたお話が語られます。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔(ま)けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
ここにからし種という言葉が出てきますが、このからし種はクロカラシという植物のことではないかと言われています。
このクロカラシはパレスチナ北方地域に自生するアブラナ科の一年草で、高さ2メートルほどになるのだそうです。そしてその種は一ミリ弱の小さなもので、たとえればケシ粒のような小さな種なのだそうです。
イエスはこのからし種を用いて譬え話を進めてゆかれるのです。そして、けし粒のような小さなからし種を蒔(ま)くと、どんな野菜より大きく成長するとおっしゃるのです。
このように、人目につかないようであっても、神の言葉はこの世界にあって大きな実りをもたらすということを教えておられるのです。
小さなからし種のようであるみ言葉、しかしそれは、わたしたちのうちに働いて成長し、大きな実りをもたらすのだというのです。
わたしたちは、このみ言葉を失わないように、このみ言葉に聞き続けて行きたいと思います。そして。み言葉に生かされて行きたいと思います。
そして、からし種を用いた譬え話に続いて、パン種を用いた譬え話が語られて行きます。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる」
ちなみに、ここに三サトンの粉という言葉が出てきますが、このサトンという単位は容量を表す単位で、1サトンは12.8ℓくらいの分量なのだそうです。それが三サトンですから、約38ℓほどの分量になります。
38ℓの粉でパンを作るというのですから、何百人分になるのでしょうか。パン屋さんでもこんなに粉を使うことはないかもしれないというほどの分量です。
そこにパン種を混ぜるのです。その時のパン種は、一握りくらいの分量でしょう。しかし、たった一握りのパン種でも、粉の中に混ぜられれば多量の粉を膨らませて、粉の様子を変えてゆくことができるというのです。
また、パン種は、粉の中に混ぜ込まれるわけですから目立つことがないのです。目立つことなく、少量でもあるパン種、しかし、パン種は、38ℓもの多量の粉を膨らませその様子を変えることができるのです。
このパン種こそがみ言葉の本質を表しているというのです。み言葉は隠されているようで、この世界に働きかけ、この世界を変えてゆく力を持っているのです。
この世界で即時的、劇的な変化をもたらすような言葉ではないかもしれない。けれども、粉の中に入れられたパン種が粉の様子を変えてしまうように、み言葉はこの世界に生きて働く力を持っているのです。そして、この世界を、わたしを変えてゆくのです。
わたしたちは、この生きるパン種を宿し続ける者でありたいと思います。