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 2025年 11月30日(日)10時 30分

​​​ 待降節 第1主日 

 標語 イザヤ書30章20-2節

 「あなたの目は常に、あなたを導かれる方を見る

 礼拝の順序

 

 前   奏 黙祷


 招   詞  マラキ書 3・1


 讃美歌 (扉を開きて

 交 読  詩編 82・1-8


 主の祈り (93-5)


 聖 書  ヘブライ人への手紙13・8

 祈 り

 讃美歌 22(いま来たりませ)

奨    励 「昨日も今日も  安田 美穂子 姉

             (日本基督教団 千里聖愛教会員)          

  祈 り 


 讃美歌 549(わたしたちを造られた神よ)

 

 使徒信条 (93-4)

​​​ 頌 栄 25(父・子・聖霊に)

 祝 祷 


 後 奏 黙祷

( 讃美歌は『讃美歌 21』)

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  奨    励 「昨日も今日も

  聖    書 ヘブライ人への手紙13・8

わたしたちと共にいてくださる神さま
クリスマスに向かう喜びを  日々増し加えてくださる
恵みと憐れみを  感謝いたします

主イエスがお生まれになったのは
暗くみすぼらしく  人ではなく家畜がいるところ
客間に入れる余地はないと断った宿屋のありさまに
救い主を拒もうとする  人間の罪の姿が見えるようです
わたしたちの罪の贖いのために  独リ子を遣わされた
神さまの愛は  はかリ知ることができません
幼いイエスさまのもとへ急いだ  羊飼いや学者たちのように
主を慕い求め、畏れ敬う  ひとすじの心を与えてください
身を低くして神と人とに仕えられた
主イエスの愛と謙虚を  深くおぼえさせてください

世界中の信仰の群れが  どんな時にも
主イエスの福音をしるべの星と仰ぎ
「神に栄光 地には平和あれ」との賛美と祈りを
声を合わせて、力強く  ささげることができますように

「祈り」
(信徒の友:日本キリスト教団出版局 2021年12月号より)

 

2025年 11月23日(日)10時 30分​

 謝恩日

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​​​​​​​​​ 降誕前 第5主日 

 標語 イザヤ書30章20-2節

 「あなたの目は常に、あなたを導かれる方を見る」

 礼拝の順序

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 前   奏 黙祷


 招   詞  詩編 46・11


 讃美歌 (聖なるみ神は)

 交 読  詩編 89・20-30


 主の祈り (93-5)


 聖 書  マルコによる福音書10・17-22

 祈 り

 讃美歌 38(刈り入れの主を)

​ 説 教  「天に富を積む」  笠田 弘樹 牧師

            

  祈 り 


 讃美歌 197(ああ主のひとみ)

 

 使徒信条 (93-4)​​

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​​​​​​​​ 頌 栄 25(父・子・聖霊に)

 祝 祷 


 後 奏 黙祷

( 讃美歌は『讃美歌 21』)

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  説 教 「天に富を積む

  聖    書 マルコによる福音書10・17-22

 本日は、マルコによる福音書10章17−22節に記されたみ言葉に聞いてゆきたいと思います。
 さてここには、主イエスとある金持ちの男との間で織りなされた出来事が記されています。

 イエスが宣教活動をされていたある時、イエスのもとに一人の男が走り寄ってきて跪(ひざまず)いて尋ねます。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」と。

 するとイエスは彼に答えて語られます。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫(かんいん)するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」と。

 イエスは十戒後半の六つの戒めを示して、この戒めに従うことを勧めるのです。すると、この言葉を聞いた人は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と答えます。
 わたしたちとしては随分な自信家だなと思わされなくもありません。けれども、イエスは「彼を見つめ、慈しんだ」というのです。

 そして「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」と勧められました。

 けれども、この言葉を聞いた人は「気を落とし、悲しみながら立ち去った」というのです。また、彼がイエスの前を立ち去った理由として「たくさんの財産を持っていたからである。」と語られています。

 こうして、この人がイエスの勧めに応じられなかったのは、財産を持っていたからで、彼はその財産を惜しみ、捨てることができなかったのだというようなメッセージが語られてゆくのです。

 しかし、この人は財産そのものを惜しみ、ケチ臭い思いでイエスの言葉に聞き従うことができなかったのでしょうか。

 イエスが、この人を慈しまれた程ですから、この人は財産に執着するガリガリ亡者ではなかったと思います。けれども、彼は財産を手放せなかった。それは、当時ユダヤの社会では、財産が神の祝福の証しとみられていたからです。

 彼は、切に神の国に入る恵を求めていました。また彼は、品行方正で人望も厚い人物であったのでしょう。さらに、神の祝福の証しである財産も持っていた。そのため、彼はわたしは神から顧みられているということを信じていたのでしょう。しかし、何かが足りない、あともう一つ自分の考えている救いの方程式を完成させる一コマが足りないと感じていたのではないでしょうか。

 それをイエスに求めたのでしょう。しかし、イエスは語られるのです。「あなたに欠けているものが一つある。行って、握っているものを貧しい人たちと交換し合い、提供しなさい。そうすれば、天に蓄えをもつことになる。その上で、わたしについて来なさい。」と。

 イエスは、救いの方程式の最後の一コマを求めた人に、あなたの手に握っている救いの方程式自体を手放しなさいといわれたのです。

 この人は神の国の入り口は自分が開くものと考えていたのではないではないでしょうか。そうした自らの救いの方程式をしっかりと握りしめていたのです。そのため、あなたの手を開きなさい、その上でわたしに従って来なさいと言われたのです。

 イエスは、あなたが握りしめている指導原理のようなものを手放して、私に向き合い、私との交わりの中で生きてゆきなさいと言われたのです。

 神の国に入る恵み、それは、自らの手で獲得するものではなく、イエスとの交わりの中で生きてゆく中に与えられるものなのです。
 


 


 


 

 

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