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 2025年 8月31日(日)10時 30分

​​​ 聖霊降臨節 第13主日 

 標語 イザヤ書30章20-2節

 「あなたの目は常に、あなたを導かれる方を見る

 礼拝の順序

 

 前   奏 黙祷


 招   詞  ヨハネによる福音書 16・13


 讃美歌 11(感謝にみちて

 交 読  詩編 128・1-6


 主の祈り (93-5)


 聖 書  マタイによる福音書 12・46-50

 祈 り

 讃美歌 358(小羊をばほめたたえよ

​ 説 教  「イエスは手を差し伸べて  笠田 弘樹 牧師

                  

 祈 り 


 讃美歌 481(救いの主イェスの)

 

 使徒信条 (93-4)

​​​ 頌 栄 25(父・子・聖霊に)

 祝 祷 


 後 奏 黙祷

( 讃美歌は『讃美歌 21』)

​​

  説  教 「イエスは手を差し伸べて

  聖     書 マタイによる福音書 12・46-50

  本日は、マタイによる福音書12章46−50節に記された言葉に聞いてゆきたいと思います。
  さて本日の聖書箇所には、イエスの家族とは何かということを語る出来事が記されています。

  イエスがガリラヤ地方での宣教活動をされていた時、ある家に入ってそこに集まってきた人々を

 えておられました。するとそこにイエスの母と兄弟たちがやってきて、イエスと話をしたいと申し出

 たというのです。
  彼らは多分、イエスが家に帰って、家業である大工の仕事をするようにと願って、イエスを説得

 るために来たのではないかと思います。

  こうした、イエスの身内の者たちの来訪を受けて、イエスに「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、

 お話ししたいと外に立っておられます。」と告げられるのです。
  するとイエスは「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」と言いつつ、イエスの周り

 にいた弟子たちを指差して、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。」と教えられる

 のです。

  こうして、イエスがイエスの周りにいた弟子たちを指差して、この人々こそわたしの家族であると

 おっしゃったのであれば、イエスの真の身内は、その場に居合わせていたイエスの弟子であるという

 ことになるでしょう。
  けれどもイエスの身内とは、当時イエスのもとに居合わせていた弟子たちですというのであれば、

 この出来事は、わたしたちとはあまり関係がない出来事になってしまいます。

  しかしそうではありません。そこで、本日の聖書箇所でイエスがなさった仕草に注目してみたいと

 思います。
  この聖書箇所の49節では、「イエスは、弟子たちの方を指して言われた。」と記されていますけ

 れども、聖書の原語であるギリシア語をみてみますと、「イエスは、弟子たちの方を指さして」と記

 されている言葉が、手を伸ばすという意味の言葉になっています。指さすというよりも手を差し伸べ

 るという感じになるのです。

  そして、この手を差し伸べるという行為には、指を差すという行為とは違った意味合いが含まれて

 います。
  手を差し伸べるという行為は、イエスの守りと保護を象徴するという意味があり、また神の力を象

 徴するものとしても用いられます。他にも、イエスの愛と力に溢れた慈しみを意味することもありま

 す。

  イエスが手を差し伸べるという行為をともなって「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と語

 られたのは、当時イエスの前に座していた弟子たちだけを指して、彼らがわたしの身内であると言わ

 れているのではなく、イエスの保護のもと、イエスの愛と力に溢れた慈しみのもとに生きようとする

 全ての人々を指して、ここにわたしの身内があると言われているということになるのです。

  イエスをキリストと信じ、イエスを主と仰ぎつつ生きる全ての人々、すなわちわたしたち皆がイエ

 スの家族であるのです。それは、性別や出自、社会的地位や持ち物の多寡に関わりのない、イエスを

 中心とした家族です。

  イエスから罪赦されていることを知り、イエスの保護のもとに、イエスの慈しみに生きようとする

 人々一人ひとりがイエスの身内の者であり、その集りがイエスの家族を形作ってゆくのです。そこに

 教会の一つの姿があるのではないでしょうか。

  そして、イエスの真の家族として、互いに心をかけつつ生き合ってゆくものとされてゆくのではな

 いでしょうか。
 

2025年 8月24日(日)10時 30分

​​​​​​​​​ 聖霊降臨節 第12主日 

 標語 イザヤ書30章20-2節

 「あなたの目は常に、あなたを導かれる方を見る」

 礼拝の順序

 

 前   奏 黙祷


 招   詞  使徒言行録 1・8


 讃美歌 10(今こそ人みな)

 交 読  詩編 57・1-12


 主の祈り (93-5)


 聖 書  マタイによる福音書 10・16-25

 祈 り

 讃美歌 355(主をほめよ わが心)

​ 説 教  「イエスが遣わされる」  笠田 弘樹 牧師

                  

 祈 り 


 讃美歌 528(あなたの道を)

 

 使徒信条 (93-4)​​

​​

​​​​​​​​ 頌 栄 25(父・子・聖霊に)

 祝 祷 


 後 奏 黙祷

( 讃美歌は『讃美歌 21』)

​​​

  説  教 「イエスが遣わされる

  聖     書 マタイによる福音書 10・16-25

  本日は、マタイによる福音書10章16−25節のみ言葉に聞いてゆきたいと思います。
 さて聖書箇所には、12弟子をこの世に派遣するにあたって語られたイエスの教えが記されて

 います。

  イエスはまずこのように語られます。「わたしはあなたがたを遣わす。」イエスは12弟子

 をこの世界へ派遣すると宣言されます。ついで「それは、狼の群れに羊を送り込むようなもの

 だ。」と言われるのです。

  狼の群れの中の羊、狼と羊の力は歴然としています。羊が自分の力により頼んで狼に立ち向

 かおうとしても食い尽くされてしまうでしょう。

  同じように、この世に派遣される12弟子が自らの力だけにより頼んで託された使命を果た

 そうとすれば、その働きは失敗に終わるということです。そこで、必要なことは「わたしがあ

 なた方を遣わす。」と宣言された方につながっていることを忘れずにいるということではない

 かと思います。

  そこで、イエスは「狼の群れの中に羊を送り込むようなものだ」という言葉に続いて「だか

 ら、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」と教えられるのです。

  イエスの弟子は、与えられている賜物や特徴を生かしつつ、鋭敏な判断力をもって、この世

 界にいきることが求められます。一方で、イエスの共ないを信じて、イエスにより頼み、鳩の

 ような素直さと、柔和さ、二心のない清純さも必要となるのです。

  この蛇のような知恵と鳩のような素直さが狼の群れの中にいる羊である弟子たちを生かすと

 いうのです。

  また、この12弟子に対する、派遣と励ましと慰めの言葉は、現代に生きるわたしたちへの

 言葉ともなっていると思います。なぜなら、わたしたちも、イエスの弟子として、この世界に

 派遣されている一人一人であるからです。

  わたしたちは、イエスを主と信じる者です。そしてイエスを主と信じる者として週ごとに礼

 拝をささげ、イエスとの交わりを与えらます。

  わたしたちは礼拝において、主イエスと出会いイエスの言葉に聞き、イエスによって祝福さ

 れます。そして、イエスからこの世へと派遣されるのです。

 

  わたしたちは、イエスから遣わされている者です。イエスから受けた恵みをこの世界に表す

 ようにと遣わされているのです。


  しかし、わたしたちは、あの弟子たちのように、イエスの福音を生かすがゆえに困難な状況

 にあったり、挫折しそうになったりすることがあるかもしれません。身近な人々からの抵抗に

 あったり、人々との軋轢(あつれき)を経験するということがあるかもしれません。

  しかし、イエスに派遣されるわたしたちは、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な時よりも、

 困難な状況の中で自らの弱さや足りなさを感じる時に、イエスの共ないや助け支えや励ましを

 痛感するのかもしれません。

  わたしたちは自らの貧しさを知る時にこそ神の恵みの大きさを知らされることがあるのでは

 ないでしょうか。そしてその時に、イエスは確かにわたしと共にいてくださっているというこ

 とに気付かされることがあるのです。

   わたしたちは、イエスから派遣されています。わたしたちは、その派遣に応え、イエスの救

  いと恵みを宣(の)べ伝え続けて行きたいと思います。そしてイエスの共ないを感得し続けて

 行きたいと思います。
 

 

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